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― 参加者感想 ―

今ほど、幕末から明治にかけての日本が、注目されているときはないと思います。
近代日本の黎明期に、わずか11歳にしてアメリカへ渡った少女、山川捨松(後の大山捨松)。

きょうは、その山川捨松をテーマにした第35回成城学園同窓会・講演会に
出席させていただきました。
タイトル:「鹿鳴館の貴婦人---明治の先人から学ぶこと」
講師:日米協会副会長の久野明子氏

山川捨松は、明治初期の岩倉具視使節団とともに、4人の少女とアメリカへ渡りました。
少し歴史に興味がある人なら、この辺のことはご存知ではないでしょうか。私もある程度の知識を持って
参加いたしました。
しかし今日は、いつもの講演会とは趣を異にしていました。講師の久野さんは、山川捨松の曾孫にあたられ
その講演内容は、とても在り来たりのものでなく、あたたかく血の通ったものに感じられました。
それは、捨松がアメリカでホームステイをした寄宿先、ベーコン牧師の娘(アリス)と交わした実際の手紙などを基にした、久野さんの「事実のみを伝えたいという」想いが、素直にわたしの胸に伝わったからだと思います。

国費留学生という立場を、幼い少女ながらに理解し、最後までその心を忘れずにいた捨松の生涯は、今までの歴史書などでは得ることが出来ない貴重なお話でした。
明治の重臣、大山巌との結婚のこと、鹿鳴館時代の立ち居振る舞い、女性の地位向上のための女子教育では津田梅子などと協力して「女子英学塾」を開設し、その力を余すところなく発揮しました。

そして、その心を支えたのは、生地・会津の藩校「日新館」の什の掟だったと久野さんは言われました。
明治・大正・昭和と時代は移り、今では太平洋戦争の終戦後70年を迎え、「身の程を知る」「足るを知る」
「分相応」という言葉が死語になってしまうほどの日本に、大切なのは捨松の生きてきた生活信条というか、生き様を3つ挙げられた久野さんの締めくくりの言葉に、大いに感銘を受けました。

1. 会津魂「ならぬことはなりませぬ」
2. 自分のおかれた立場で、ベストをつくす
3. 日本人としての誇りを失わない

これこそが今の日本人にとって、忘れてはいけない魂なのではないでしょうか。
そして、この魂は、脈々と久野明子さんへ引き継がれていることを感じずにはいられませんでした。
私は深い感銘とともに、さわやかさを感じながら、妻と共に家路につくことが出来ました。

平成27年10月17日
渡辺光昭(12文E)