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ワンキャンパスで学んだ先輩たちのストーリーを大学生のインタビューでお伝えします。

Stories - 卒業生インタビュー - 企画について

【目的】
成城学園同窓会は、同窓生相互の親睦を図り、かつ母校の発展に協力することを目的として設立され、
これまでに多岐に亘る事業活動をしてきました。
事業活動の1つとして学生支援も行っています。

今回は、経済学部の境新一先生のゼミ生と連携し、
「実社会に向けて見識を深められる機会を提供できれば」という学生ファーストの視点で、
各業界で活躍中の卒業生へのインタビューを通じ、社会人形成期にあらたな発見と知見を拡げられる
支援を企画しました。

 

第16回卒業生インタビュー

取材日時:2025年6月27日(金)13:00~14:30

取材相手:宮内亮二氏(19回法学E)

どんな大学生活を送っていましたか。
陸上競技部(専門種目:やり投)に入っていたので、陸上競技部の活動が軸としてありました。そこに授業やアルバイト、趣味等がくっついていた感じです。練習等は休まずにしっかり頑張っていた時代でした。

なぜ、法学部に進学されたのですか。また、法学部で学んだことが入社後どのように役立ちましたか。
「法律=活字」ということではないと思いますが、本や活字が嫌いではなかったので法学部を選びました。思い起こすと大学入学当時の法学部の案内に「リーガルマインド」という言葉が書いてあったように思います。当時は「リーガルマインド」がどういう概念なのか、今ひとつ掴み切れなかったように思いますが、まがりなりにも4年間法律を学んでいましたので、入社後の研修や業務において、法律に対する考え方やアプローチ、法律が何を守りたいのか(法益)等の概念はすぐに理解できました。法律は”守るべきルール”ですから、法律や法益が理解できるとビジネス上で可能なアプローチの範囲が見えてきます。こうした法律的な思考が、今思えば「リーガルマインド」だったんですよね。ビジネス的には「リーガルシンキング」と言う方が何となくしっくりきますが。
ビジネスには「コンプライアンス(法令遵守)」という言葉がありますが、どんな仕事でも法律がベースにありますので、法学部で学んだことは仕事にもすごく活きると思います。入社後すぐにビジネス実務法務検定と言う公的資格を取得するために「法学部出身者」だけが集められる勉強会等もあったりして、すぐに資格を取得することも出来ました。
電気事業は電気事業法や定型約款と言うものがあり、それらを正確に解釈することの重要性も法学部で学んだ知識や思考法が役に立っていたと感じます。

陸上競技部に所属されていましたが、部活動の経験が「仕事に活きた」と感じたことはありますか。
「目的を達成するために集中して練習を積み重ねて行く」という努力や経験は、仕事に対する基本的な向き合い方に通じるものだと感じています。一般に体育会系の人を採用する企業が多いと言われているのも、目的や目標の達成に向けて研鑽を積んでいくというクセが日々の練習等を通じて身に付けられているからだと感じます。

入社後は現場で働いていたようですが、その後の仕事にどのように役立ちましたか。
入社して4年間は神奈川県内のあるエリアを担当する営業所に勤務していました。入社直後の2年間は電気料金の集金業務や電気メーターで使用量を確認する「検針」と言われる外勤業務、その後2年間は新築の住宅やマンションに電気を供給するための申込みを受付する窓口業務に従事していました。
その後、神奈川県内の営業所を統括する支店に異動となり、法人営業部門に配属となりました。ご存知の通り、東京電力はエネルギーの会社ですが、電気やガスを作って送るだけではなく、お客さまがビルや工場でどんな設備を使って、どんな使い方をすると電気やガスを効率的に使えるのか(≒省エネルギー)と言うノウハウや技術をすごく沢山持っているんです。そうした社内にあるノウハウや技術等を活用しながら、大きな企業のビルや工場のお客さまに対して、「こういうシステム(空調・給湯設備、蓄電池設備等)を導入すると、電気やガスがこんなに効率的に使えます」とか、「CO2をこれだけ削減できます」といった技術提案を行いながら、お客さまに東京電力とのご契約を選んでいただくという仕事でした。大きなビルや工場の電気料金は何億円も掛かることもあるので、例えば電気料金を10%削減できるだけでも金額的なメリットはすごく大きいんです。ここでは4年間程、神奈川県内を縦横無尽に営業で飛び回っていた日々で、未だにこの時の経験は活きていると感じます。それは社外の方々のビジネス感覚やモノを売る時の商流等です。大きなビルや工場における設備リニューアルは、場合によって何億円もの費用が掛かったりするのですが、そこには設備メーカーや販売代理店、施工会社、建設会社等が関係してきます。お客さまだけでなく、そうしたプロジェクトの関係者とのやり取りを通じて、様々な会社の価値観や考え方、商売上の慣習等を学ぶことが出来ました。社内では「ミスや失敗をしたら評価が下がるのではないか」と言う「見え方」を意識してしまったりもするのですが、社外の方々とのやり取りでは、「売上・利益をどれだけ上げられるか」と言う結果や実績が何よりも重要。そういう意味では社内と社外で異なる力学が働いていると感じました。 支店での4年間では、特にそういった社内外の力学について提案営業を通じてみっちり学べたのは本当に大きな財産になりました。皆さんも就職されると、「人や組織が何を目的に動くのか」と言う「力学」みたいなのが見えてくるのではないかと思いますよ。

なぜ、東京電力で25年間勤務し続けられているのですか。
今は少し違うのですが入社当時、東京電力は本店・支店・営業所の3階層になっていました。初めは営業所に入って個人のお客さま対応(主に低圧供給)を経験し、4年後に支店で法人のお客さま対応(主に特別高圧・高圧供給)を経験し、さらに4年後には本店(現在の呼称は本社)に移り、会社全体の営業戦略の策定に携わる、といったように、仕事の難易度が徐々に上がったり、担当する範囲が広がったりしたことで飽きることがなかったのは、長く勤務してこられた一つの要因だと思います。東京電力はグループ会社も含めると社員数も多く、お客さまの数は関東圏を中心に約2,000万口もある大きな会社ですので、良くも悪くも影響力が大きく、ダイナミックな仕事ができる強みがあります。東京電力以上にダイナミックな仕事ができる会社はすごく限られてしまうこともあり、転職を考えたことは余りないですね。

入社当時からかなりステップアップされていると思うのですが、ご自身のキャリアの中で転機はありますか。
転機という意味ではいくつかありますが、現場での経験が一番大きかったと今でも思っています。特に入社5年目から4年間、支店で法人のお客さまの営業を担当していた時期に、大体1日に4件、4年間で何百件ものビルや工場のお客さまを訪問し、色々な技術提案をすることが出来たのは本当に貴重な経験でした。文系の私が技術提案を通じて、「技術の普遍性」みたいなものに気付いたのもその時期です。その後はずっと本店・本社勤務で、営業戦略等の方針策定に携わる仕事が続くのですが、例えば「営業戦略」って言っても、社内だけに向いていてはダメで、「いかにお客さまに東京電力を選んでいただくか」が重要じゃないですか。そういう意味で、現場経験やお客さま視点がなくては良い戦略・戦術は描けません。本社にいることだけが必ずしも良い訳ではありませんが、長い間本社で勤務し続けられているのは、現場感覚やお客さま視点を持ち続けられていたからだと思っています。
もうひとつ、12年ぐらい前に私自身が立ち上げに関わったIoT技術の研究開発やデータ分析に関わるプロジェクトのメンバーだった頃、当時の上司が東京ビッグサイトで講演をする予定がありました。ところが、急遽その上司の代役で私が講演することになったことがあるのですが、その講演内容が日経の記事などに掲載され、社内で「面白いヤツがいる」と言うことになり、営業戦略策定のリーダーに抜擢されることになったことがありました。ただ、リーダーになってからの2年間、本当に寝食を忘れるぐらい働いたのですが、その時はなかなか上手くチームや組織を引っ張って行けなかったなと感じています。今振り返れば、リーダー的な立場が初めてだったこともあり、少し気負いみたいなものがあったのかも知れません。 評価されたり、上手くいったことだけでなく、失敗も一つの転機と言えるのかも知れませんね。

再開発(まちづくり)の業務にも取り組まれていたようですが、この業務ではどのようなやりがいを感じていましたか。
この時はやりがいしかなかったですね。
東京電力ホールディングス本社を含めた周辺エリアの非常に大きな再開発事業で、関係する大手企業等、複数の地権者が日々集まり、「どんな街をつくっていこうか」とか、「どんな新しい技術をこの街に取り込んで行こうか」といった夢を語りながら、時には地権者間での利害調整があったりと、これもなかなかダイナミックな仕事でした。私が管理職になったのもこの時期で、現場の責任者として、こうした大きなプロジェクトを率いることが出来たのは本当にやりがいでした。また、主に関東圏の電力供給を担う東京電力本社の移転計画も関係していたので、そういう面でも「考える」ことがひと際多い仕事でした。結果的には2年間しかこの事業に携われませんでしたが、数年~数十年単位の時間が必要となる足の長い大規模再開発事業の中でも、事業の具体化や実現に向けた重要な2年間だったと思うので、夢があったし、すごく勉強にもなりました。出来ればこの仕事ずっとやりたかったな、と今でも思ったりしています。

再開発事業で色々な企業との利害を調整していくために意識していたことやまとめるに当たって大変だったことはありますか。
大きなプロジェクトや事業に立ち向かっていくドキドキ感はありましたが、大変さは余り感じませんでした。ここでも入社5年目から4年間、営業で飛び回っていた時の経験が活きていて、社外の方々のビジネス感覚や価値観等を思い出しながら仕事をしていました。相手や相手の会社が何を求めているのか、自社が譲れない部分はどこで、相手とどのように折り合うべきなのか、等を必死に考えていました。社内で閉じた仕事をする時とは少し感覚が異なりましたね 。

意外に東京電力という社内での仕事と、他の会社との仕事とだったら、他社との仕事の方が会社のことを考えなくて良くて、詰めるところまで詰めることが出来たという感じですか。
この時の再開発事業はもちろん私個人の土地ではなく、会社の土地ですから、事業の具体化や実現に向けては社内の調整も当然重要になってきます。社内で必要な稟議や決裁をしっかり上げて通していく、という面と、社外に負けずに交渉していく、という面と両方が必要です。だから社外だけを意識しておけば良いという訳でもないように思います。ただ、この当時のタイミングで言えば、社外と向き合うことの方が、パワー的には大事な時期だったので、そちらの力の方が活きたとは思います。けれどもやはりどちらも大事なことです。

「あの時、もっと力を出しておけば…」という後悔はありますか。
もちろん「こうすれば良かった」と思うことは少なからずありますが、後悔は余りしていません。その場その時でそれなりにやれることはやり切ってきたと思っているし、そもそも後悔し始めたらキリがないじゃないですか。ただ、会社は組織なので、コミュニケーションの取り方については、もう少し考えておけば良かったと思うことはあります。特に若い頃は血気盛んなところもあり、自分が「正しい」と思ったことを必死に追っていた感じで、組織の中でしっかり合意形成を図りながら、皆と上手く折り合っていく、という意識がもう少しあっても良かったな、と感じたりはしています。

どのようなきっかけがあってコミュニケーションを意識するようになったのですか。
きっかけは2つあります。1つ目は会社人生が常にステップアップばかりではなかったことです。何か大きな仕事やポジションに抜擢される時よりも、貢献し切れずに志半ばでプロジェクト等から外れる時の方が学びも多かったりするんです。そうした中で、「上司・同僚を含めて周囲に対する気遣いが足りていないのではないか」ということに気付いたタイミングがありました。
2つ目は、ある時、上司から「宮内君さ、余り周りに望み過ぎないことも大切だよ」と言われたことです。やんわりとした言葉ではありましたが、遮二無二仕事をしていると、周りが見えにくくなり、ついつい自分の考えや理想を押し付けてしまいがちになることが少なからずあったな思いました。組織は色々な考えや能力を持つ人がいることこそが強みなので、一度は自分とは違う意見や考えを受け止めて咀嚼することが大事だったりするんです。おそらく上司は私の少しカタブツな姿を見て、ひと声掛けてくれたのだと思います。
そうしたきっかけを経て、自分の理想ばかりを主張していても、仕事や物事は上手く回っていかないということに気付くことが出来たのだのだと思います。

入社されて25年も同じ会社で働き続けると、やりがいを見つけることだったり、モチベーションを維持することだったりが大変ではないかと思いますが、東京電力の一社員として持っている「志」や譲れないことはありますか。
私が入社した頃の発電・送配電・販売一体の会社だった「東京電力株式会社」は今では5つの会社に分かれ、今、私はその中の一つである販売会社に在籍しているのですが、「東京電力(TEPCO)」社員の「志(こころざし)」として連綿と受け継がれているのは、「お客さまのために」質の高い電力・ガスのサービスを安定的に提供していく、ということだと思います。何かお客さまに影響するようなトラブルが発生した時に、一致団結して対応する社内の引き締まった雰囲気は、今でもすごく誇りに思います。また、「譲れないこと」とは違うかも知れませんが、私自身は仕事をする上で、「自分なりの価値を出せる仕事をしたい」と常に考えています。例えば仕事を依頼された時に、「依頼通りにやり遂げる仕事」と「自分なりの価値を出せる仕事」に分け、前者の仕事はなるべく早く完遂させ、後者の仕事に出来るだけ「考える」時間を充てられるように意識しています。今は大抵の作業はパソコンやAIがやってくれるし、それこそAIやロボット等とどう上手く付き合っていくか、と言う時代になりつつありますが、そうした時代においてこそ、自分なりの価値が出せるフィールドで 価値のあるアウトプットを出していきたい、という意識は常に持っていますね。

たくさんの方々と一緒に仕事をしてきたと思いますが、その中で一緒に仕事したいと思うような人はどのような人ですか。
端的に言えば「信頼できる人」、「信用できる人」ですね。“信頼”と“信用”は微妙に違いますが。もちろん能力が高い人がいい、考えが合う人がいい等、望めばキリがありません。 ただ、会社は色々な能力や考えの人がいることこそが強みで、ある部分に長けている人が、ある部分は不得手、等ということは当たり前にあり、それを組織全体で補い合いながら、高めて行けることが大事なんです。そういう意味で、自分の中のひとつの判断軸は能力や性格と言うより、シンプルに「この人は信頼できるのか、信用できるのか」と言う点かな、と思います。「時間を守る」、「約束を守る」というある意味当たり前なことでも、すごく大切なんですよ。

メンバーの方とのコミュニケーションで意識していることはありますか。
今、書店のビジネス書ゾーンに行くと、「心理的安全性」と言うテーマの本が多く出ているのですが、目にしたことはありますか。皆さんもゼミや部活動・サークル等のミーティングで意見や相談を言いやすいとか、言いにくいとか感じたりしますよね。「この人はいつもイヤなことを言ってくるんだよな」と思うと、なかなか意見や相談って言い出しにくいじゃないですか。こういう状況は「心理的安全性が低い」と言うのですが、逆に「心理的安全性が高い」状況を作ると、色々なことを言い合えるようになるし、そうした組織は仕事でも高い成果が出やすいと言われているんです。こうした点は少し意識しています。あとはちょっとした言葉のチョイスだったりも意識しますね。結局は「コミュニケーションの基本が大事」と言うことなのかも知れません。

ご自身のキャリアを一言で表すとどんな言葉になりますか?
東京電力の中では比較的バリエーションに富んだキャリアを歩んできたのではないかと思います。平均すると1~2年ごとに部署や仕事が変わっているのですが、そう考えると短期間で結果を出していくことが求められて来たように思います。頻繁に仕事が変わる中で毎年結果を出して行くのって結構大変で、異動の辞令が出た瞬間から、どうやって次の仕事で結果を残していけるかをすぐに考え始めるクセがついたように思います。例えば今日のインタビューも、この教室の入口を入った瞬間に時計がある場所を確認し、インタビュー中の今も時計を横目で見ながら、あと何分ぐらいだから、こんな流れで、こういう締め方で終わると良いかな?とか、考えていたりするんですよ(笑)。
ちなみに皆さんは私のキャリアを聴きながら、どんな言葉が思い浮かびましたか?

色々なプロジェクトを通じて結果を求められたのであれば、「挑戦の連続」という言葉はどうでしょうか。
嬉しいですね、ただ少しカッコ良すぎる気がします(笑)。自ら挑戦したことばかりではなく、会社や上司が少し飽きっぽい?私の性格を理解してくれていて、上手く挑戦のハードルを並べてくれたような面もあるように思いますので。様々に渡り歩いてきた部署では、戦略策定や方針策定等の「考える仕事」が多く、先々を読みながら、「この組織は今後、何をしていくべきか」を常に考え続けてきたように思います。今はまだ会社人生の途中ではありますが、これまでを振り返ってひと言で言うなら、「思考の連続」とかになるのかな、と思います。

お仕事に関することで夢や目標、今後の展望等はありますか。
「定年」が少し見えてきた今、「後進に何を残せるか」がひとつの大きなテーマと考えています。東京電力という会社でまがりなりにも営業、プロモーション、アライアンス、技術開発、商品開発、オペレーション、再開発事業や関連会社の役員等、各分野・業務で戦略や方針を立て、会社や組織を導いて行く、という仕事を繰り返し経験してきました。考えて、資料を作り、プレゼンし、社内外の調整を行い、人や物事を動かしていく、というある種のルーティンは、一般的に「必要」と言われるビジネススキルそのものです。私が皆さんのような学生の頃、書店に置いてあるビジネススキルの本を見ても、そうしたスキルが何にどう使えるのか良く分からなかったような気がします。でもそれから約25年、会社人として仕事をしてきた中で、何かあると、そのヒントを得るために書店に立ち寄ったりすることも多かったのですが、約四半世紀かけてビジネス書ゾーンをひと廻りしてきたような気がするんです。年々、書店で興味を惹かれる本や本棚が隣に移っていくような感じでした(笑)。
私が若い頃は、昔かたぎな教え方がまだ残っていて、厳しく教えられたり、突き放されたりしながら、仕事の進め方やコツを学んできたように思います。それはそれですごく良かったのですが、今の時代ではそういう教え方って難しいんです。そうした時代の中で、自分自身が学んできたビジネススキルや考え方を若い人たちに効率的に教えていけるような方法やプログラムが出来ないかを考えています。ビジネススキルや思考法に学歴は関係ないですしね。
会社の後輩たちはもちろんですが、皆さんのような大学の後輩も含めて、「何を残せるか」に私自身がトライしながら、会社や皆さんの成長に少しでも貢献出来たら幸せだなと思っています。

 

【編集後記】
今回は、東京電力エナジーパートナー株式会社に勤める宮内亮二さんにお話を伺いました。和やかな雰囲気でインタビューすることができました。
宮内さんは過去のことを後悔するのではなく、今どうするのか、更にはこの先どうしていきたいのかと前向きに考えられる方だと感じました。短期間でさまざまな部署へ移動され、すぐに結果を出すことを求められている為か、お話ししていて、思考のスピードが速い方だという印象を抱きました。
宮内さんの学生時代や入社後の仕事や気付きについて多くのことを伺え、学びが深まるインタビューになりました。

成城大学経済学部 境 新一ゼミ
大橋日花(3年生)
神原功樹(3年生)
清水楓雅(3年生)
藤村充希(3年生)
増田舞香(3年生)

 

後列左から 鈴木小夜子(常任委員)、増田舞香 、藤村充希、大橋日花、境新一先生、本田敏和(事務局長)、
前列左から 清水楓雅、宮内亮二氏、神原功樹