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ワンキャンパスで学んだ先輩たちのストーリーを大学生のインタビューでお伝えします。

Stories - 卒業生インタビュー - 企画について

【目的】
成城学園同窓会は、同窓生相互の親睦を図り、かつ母校の発展に協力することを目的として設立され、
これまでに多岐に亘る事業活動をしてきました。
事業活動の1つとして学生支援も行っています。

今回は、経済学部の境新一先生のゼミ生と連携し、
「実社会に向けて見識を深められる機会を提供できれば」という学生ファーストの視点で、
各業界で活躍中の卒業生へのインタビューを通じ、社会人形成期にあらたな発見と知見を拡げられる
支援を企画しました。

 

第17回卒業生インタビュー

取材日時:2025年10月28日(金)15:00~16:30

取材相手:茂木万里子氏(20回法学E)

なぜ法学部に進学したのでしょうか。在学時はどのような生活を送られていましたか?
法学部に進学した理由としては、就職氷河期で非常に就職が厳しい時代だったので、深く考えたわけではなく、潰しの効く学部を選びました。
成城学園には自分がやりたいことを好きなようにできる雰囲気と人がやりたいことを普通に受け入れる空気があり、洋弓部の活動やアルバイトなど、自分らしく自由にのびのびと過ごしていました。「他人を受け入れ、排除せずにその人をそのまま受け入れ、受け止める」という学園の印象です。

就職活動をする中でなぜ不動産業界を選ばれたのですか?
当時は就職氷河期でしたので、「内定が取れれば」としか考えていませんでした。
エントリーシートを記入して写真貼って送るとか、説明会に行くために電話をし続けるというような時代で、100社エントリーしても1社も内定が出ないような状況でした。
積水ハウスに入社したのは、「内定をいただけたから」です。運が良かったというところです。ただ、それまでの就職活動について今思えば、「ただ内定がもらえれば良い」という姿勢は企業に見抜かれていたと思います。
各会社では、人材を採用するにあたって、その学生は自分の会社にどんな魅力を感じているか、どういうことをしてくれるか、自分が(学生が)何をできるかを話してくれることを期待しています。その会社がどういうことをしていて、どういう人材が欲しくて、自分はそこで何ができるか、ということをもっと考えて活動していれば、違う結果が出たかもしれません。

就職活動をしていく中で他の人と比べてしまい、辛くなったりしましたか?
周囲が内定をもらったのに私だけもらえないとか、落ち込むことばかりでした。内定が出ないのは、その人そのものを否定してるわけではありません。その会社と自分がたまたま、合わない、マッチングしてないだけの話で魅力がないわけではない。だから、皆さんの魅力に気づいてそこをうちで活かして欲しいという会社は絶対あると思うし、そこを見極めて欲しいと思います。従って学生側としては自分の武器とか魅力を存分にお伝えする必要があるし、そこを遠慮してはダメだと思います。

不動産業界で働いていてやりがいを感じる瞬間とか、こういうところで苦労したなという経験をお教えください。
「土地や建物を売ってなんぼ」という中、私は成績が上がらず苦労しました。お客様がどんな家を求めているかをアジャストしていなかったし、そのことを非常に難しく感じていた時期でした。
そこを乗り越え、良い物件を買ってもらったり、高く物件が売れたりすることで感謝される意味では非常にやりがいがありました。成果を上げれば給料も上がるという歩合制も原動力になりました。

宅建を取られた方々が周りにいたから取ろうと思ったのか、より広く仕事をするために宅建を取得されたのか、どちらでしたか。
積水ハウスでは、当時社員に宅建を取らせるのが至上命題の一つだったのです。社内では女性社員の宅建の受験に際し、「チャレンジしたかったらやってみてもいい」という空気でした。受かれば報奨金が出る制度もあったので周りと一緒に受けました。

いつ頃から司法書士の仕事をやってみることを考え始めましたか?
司法書士に初めて会ったのは積水ハウスから野村不動産アーバンネット(現野村不動産ソリューションズ)に転職してからでした。不動産の売買手続きは、例えば家を買う際、手付金を払って契約をし、残りのお金を後日最後に支払い、家を引き渡すという流れになります。司法書士はその最後の、お金を払って、その所有者の名前を変えるタイミングで登場する人物になります。
初めて土地が無事に売れ、最後の手続きのため銀行に集まる機会を設けました。その席上で初めてその司法書士の方とお会いしたのですが、私が力不足であったため、その場がちょっとトラブルになりました。その場がトラブルになると買いたい人が買えない、売りたい人が売れないっていう最悪な状況になってしまいますが、司法書士の方がプロとしてそこをきちんと説明し、うまくまとめてくださいました。感謝するとともに「かっこいい」と思ったのが最初のきっかけです。
ダメな日々を過ごしていた中、限界を少し感じていた矢先、資格を持って人に感謝される仕事をやりたいっていう思いから、司法書士を目指すことをその先生に相談して決めました。

会社員をしながら忙しい中でどのように勉強時間を確保していましたか?
一般的には、合格まで3000時間と言われています。私は働きながらなので、平日、朝4時に起きて7時まで勉強。その後会社に行って17時まで働き、18時過ぎぐらいに帰宅して食事後は勉強して21時に寝る。通勤時間や昼休みをちょっと勉強の時間に充てた生活を5年送りました。合格まで5年かかりましたが、標準より少し長くかかりました。10年を要して受かる人もいますが、平均しますと専業で2、3年勉強すれば合格のイメージです。

4時から7時の勉強を5年間続けられ、その過程の葛藤にはどのように戦っていましたか?
資格試験に合格しないと始まらないので、もう後がありませんでした。何度も転職していると、次に雇ってくれる会社もあんまりないのです。
ここで受からなければ私は一生年収200万で終わるとか (笑)、その追い詰められた気持ちがありました。あと、勉強自体は大変でしたけど、結構楽しかったのです。法律の勉強をするのは面白かったですし、知らないことを知るのも割と抵抗がありませんでした。この仕事を好きになれば合格できるのではないかという、自分の中では確信めいたものがあって、「絶対にもっと自由に楽しくやってやる」という気持ちで勉強していました。
あとはその試験勉強中に結婚をしました。夫も今司法書士ですけど、2人で頑張ろうっていう感じで、お互いちょっとだらけそうになったらお互いに鞭を打って研鑽をしていました。
私はたまたま夫でしたが、周りの資格者に話を聞くと、そうやって助け合う、一緒に頑張る人の存在が大きいようです。

司法書士の資格取得から12年経ち、様々な案件を通じて色んな方とお会いしたと思うのですが、1番嬉しかったエピソードや面白かったことは何ですか?
基本的には感謝される業務内容です。人生の節目に立ち会える仕事ですので、どれも一つ一つが嬉しかったし、印象深かったというのがあります。マイホームを購入され、これからどんな家族をつくり、どういう新しい生活を送っていこうか...という人たちにも立ち会います。相続のお手伝いであれば、次世代にバトンを託す仕事っていう意味で、そういう節目に立ち会えるのも やりがいになりました。印象深い案件としては、20歳代の方の会社設立をお手伝いしたことがあって、その後、一人でやっていきますということでしたが、ある時「人を増やす手伝いをしてくれ」との連絡がありました。更に資本金を増やすことになった、融資を受けられることになったから、それもやって欲しいという依頼が入りました。私が法律の諸手続きの面でお手伝いして、事業の方に集中してもらって、それが大きくなっていくというところ、私が裏方として支える一方、会社や個人が成長されていく姿を見るのは非常に嬉しく思いました。

司法書士の仕事をする中で大変だなと思うことや挫折しそうになった経験はありますか?
不動産登記簿は、土地や建物など不動産に関する重要な情報を国が公的に管理している帳簿のことです。
不動産取引などの基礎となる公的な情報なので、記載に間違いがないことが大前提になります。完璧を目指してやっていますが、人間ですので正直間違ってしまうこともあり、そのリカバリーっていうのは非常に心身を削られます。例えば、渡辺の「辺」という漢字は何種類もあります。漢字一つにも神経を使うところです。不動産に限りませんが、登記手続の責任が重いところは大変だと思います。

司法書士になられてからどこかに最初に所属したのではなく、なぜ最初から独立されたのですか?
私は34歳で合格しましたが、既に結婚していました。子供のことを少し考える年齢に差し掛かり、出産するリミットが迫ってくる中、家族で話し合ってやはり子供が欲しいということになりました。通常は合格してどこかの事務所に何年か働いて実務経験を積んで独立するのがスタンダードですが、すぐ子供を生みたい、育休が欲しいと思う30代半ばを雇う事務所はなかなかありません。一応10年以上働き、サラリーマンも経験しましたので、私なりに家庭と仕事を両立する視点から、独立が一番という結論に至りました。

今の茂木さんが当時大学生の自分にかけたい言葉や、これをしておとけば役に立つなどのアドバイスはありますか?
勉強しなさいっていうのが一番ですけど、色々な経験をもっとしておけばよかったと感じています。旅行もいっぱい行けばよかったし、アルバイトももっと様々な職種を経験するのも良いでしょう。遊びに行くのもいつも同じメンバーと同じところではなく、例えば学外のサークルなどに顔を出すとか、もっともっと、時間をかけて、外に出ておけばよかったかなと感じます。経験と視野を広げるっていうところはもうちょっとしておいてもよかったかなと反省しています。好きな作家さんの本、当時は吉本ばななさんとか山田詠美さんとかがすごく流行っていたので、そういった流行りの本ばっかりを読んでいました。その時話題になった違うジャンルの本など、様々なことに興味を持つことが必要だったし、もっと時間を有効に使うようにと伝えたいです。

大学3年生には業界など決めきれていない学生が多くいます。そのような学生に向け業界の絞り方など自身の経験から伝えられることはありますか?

先述しましたが、住宅メーカーにとても行きたかったから行ったとかいうわけでなく、流れだったというのが実情でした。好きなことを仕事にしたいというのは最高だとは思いますが、世の中そううまくもいかないと思います。こんなはずじゃなかったとか、こんなのやりたい仕事じゃなかったとか、これ私がやりたかったことじゃないと思うこともあります。その置かれた環境で、頑張れるか不満を持つかで、人生は分かれるかなと個人的には思っています。こんなことやりたくないとか、なんで私がと思っても、やってみると意外に面白かったり、予想外の自分に出会えたりすることがあります。あと周りから感謝されて、悪くないと思う瞬間とか、得るものは必ずあると感じています。私の経験で言うと、不動産会社から通信会社に転職した時、倉庫の整理係をやらされました。ある営業社員が、再発行ができない裁判所からの書類を紛失し、そんな大事な書類なのにその倉庫のどこかにその1枚があると言われました。私は一人で何日も何日もかけて探しました。奇跡的にそれが見つかった時に感謝されて嬉しかったことと、そういう書類の整理って私は嫌いだと思っていましたが、「意外とできるのではないか」と気づかされました。あの時の整理能力は今の仕事にも活かされています。なんでやらされたのと思う仕事でも今になって見ると役に立っていたり、お客様にご説明する際、その時の知識が役に立っていたりしています。意に沿わない、自分がやりたいとは思ってなかったとしても、自分の内なる可能性を信じてちょっと頑張ってみるのも必要です。業界が見つからなかったとしても、焦らないでご縁を感じたら頑張ってみるというのも一つです。

茂木司法書士事務所の今後の展望や目標などはありますか?
ご依頼いただく仕事は一つ一つ丁寧にやっていく、それの積み重ねが過去、現在、将来への基本姿勢になります。また法律はタイムリーに改正しますので、その改正に置いて行かれないよう日々の研鑽を続けていくことが1番の軸になります。あと2つあって、OB・OG会の一つとして 司法書士成城会を立上げたいと思って今準備を進めています。もう一つは学生に対する法律教室を司法書士会の方でしております。司法書士をその学校に派遣して、法律授業を開催する仕組みです。司法書士の知名度を向上させ、法律の基礎知識を学んでもらう取り組みですが、多くの学校で開催したいと奮闘中です。

 

 

【編集後記】
今回のインタビューを通して強く印象に残ったのは、茂木さんが歩んできた道のりの「リアル」と「揺るぎない前向きさ」でした。就職氷河期での苦労や不動産業界での挫折、司法書士への転身など、多くの話を聴かせていただきました。そして、迷いながらも自分の可能性を信じ続けた結果が今に繋がっていることが伝わってきました。また、学生への温かな助言や、一つ一つの出会いを大切にする姿勢からは、経験を積んできた茂木さんの温かさを感じることができました。未だ人生の分岐点にいる私たちにとって、一歩進む勇気を与えてくれるインタビューでした。貴重なお話、ありがとうございました。

 

成城大学経済学部 境 新一ゼミ
清水楓雅(3年生)
濱田幸乃(3年生)
阿部天南(3年生)

 

後列左から 鈴木小夜子(常任委員)、長岡夏海(常任委員)、境新一先生、本田敏和(事務局長)、
前列左から 濱田幸乃、清水楓雅、茂木万里子氏、阿部天南